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世界の平和の祭典の意味

Excite エキサイト : 社会ニュース<聖火リレー>有森裕子さん「平和の大切さ伝えたい」 [ 04月26日 00時45分 ]
毎日新聞社

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ミュンヘンのフィッシュというお祭りとフランクフルトの市場前の写真

有森裕子さんの話は今回のケースで、アスリートとしての限界と現実の問題を整理した立派なコメントだと思う。有名人たる各聖火ランナーの話を全部聞いたわけではないが、平和裏にやりたかったとか、政治を持ち込むのは残念だとか言っていた元プロスポーツ選手やアスリートたちがほとんどの中で、輝くコメントである。

こっちはハッピーに、楽しくやりたいのだから、暗いメッセージをする者(チベット弾圧抗議)はあっち行けとか、介入しないで欲しいというのは平和ボケ過ぎる。

オリンピックが「世界の平和の祭典」の象徴であり、それが世界の人々の願いだとすると、今の世で、その"平和"が与えられていない民族や人々が「僕らは平和でも幸せでもないので、お願いだからオリンピックを楽しむ人々よ、僕らのことを知って、できれば助けてください。」とメッセージすることはあっても良い。

近代オリンピックにおいては、オリンピックは世界の祭典であるが、悲しいかな世界は平和ではなく、現状不幸な状態に置かれている弱い立場の人々がいるという現実がある。その人々が政治的に利用しようとするのは当然である。当然と言うか仕方がないのである。世界の人々はその現実は認める必要がある。

政治的な活用と言う点では、レニ・リーフェンシュタールによる2部作の記録映画『オリンピア』が語っているように、1936年、ナチスドイツが国を挙げて国威発揚の具としてオリンピックを活用したのに比べれば、立場の弱い人々が世界の人々に自分たちの惨状を直訴するという政治的行為の方がまだまだましなのである。
by ys1042734 | 2008-04-26 20:27
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