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非現実的

Excite エキサイト : 社会ニュース
「ゆとり教育」路線を修正 道徳教科化は見送り [ 02月15日 17時29分 ]
共同通信

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ゴルフ場のクラブハウス

教育というものは本当に難しいです。自分に関してですが、自分の子どもに対する教育も思うように行かないのにもかかわらず、他人の教育については何をか語らん、という訳です。どこの親も同じかもしれませんが・・・。

しかし、あるべき教育はなんとなく分かる気がします。

人間は性悪説的には、勉強より遊びの方が好きだと思います。プレステの方が学校の勉強より楽しいに決まっています。だからある程度の強制は必要だと思うのです。

しかし強制しすぎると弊害が出ます。子どもの精神がまいったり、不満・イライラを周辺にぶつけたり、ウソツキでズルイ子どもが生まれたり、極端な勉強嫌いが生まれたりする。

強制せず、強制する、これが難しいのだと思うのです。

しかもそれが一人ひとりで、異なる対応が必要であるということが難しいのだと思います。学校の先生には、覚えの必ずしも良くない子どもに対する大変な根気が必要であるとともに、生徒全員の勉強の進みが遅いと、孤独な焦りや悩みが生まれるのではないかと思います。本当に頭が下がる思いです。ぼくにはとても出来ません。

しかし、科目にどれを入れて、どれを外すとかいう議論は、僕はあまり重要でないと思っています。人間の世界の営みのすべて、生物のこと、地球のこと、数学・物理の公理や公式など、みんな重要であると思いますので、ある程度、優先順序をつけてやはり全部学ぶべきであると思うから。

20年以上も前から、ぼくは自分の部下にはコンピュターと英語だけはコツコツと勉強しておけ、といってきましたが、この“読み”は正しかったと思う。

勿論、パソコンが上級の腕前で、英語TOEIC で900点以上とっても、良いという訳でもないのですが。これら能力はラーメンでいいますと、トッピングレベルの話で、盛り付けが綺麗であり、多少の味にも貢献できるという程度のもの。やはり本体の能力がなければ、仕事では使えないのです。

今日も部下の人と話していて、海外でドンドン勝負していかなければならないのだが、仕事の出来る奴は英語が出来なくて、帰国子女出身などの英語ができる奴は仕事がわかっていないのが多いのだ、と愚痴ってしまった。

いっそのこと、会社の公用語を英語にしてしまおうか、と。

研究所というお仕事は情報だけなのです。この地球で日本語で書かれた情報は1/60なのです。人類が60億人なのに対して、日本人は1億人ちょっとだからです。残りの他の情報はやはり英語で書かれているものが多いのです。

しかし考え方を変えて、“教育”ということは難しいかもしれないが、“勉強”はそんなに難しいことではないかもしれません。他者に対して教育するということと、自分で自分を教育するということの違いです。

学校を教育の場でなく、勉強の場にしたら“教育現場の世界”がもっと良く変わるかもしれません。

非現実的かな。
by ys1042734 | 2008-02-15 21:21
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